凛として走る

2019/12/25現在のマラソン哲学を書いてみよう。

本日のラン。

AM:158分ジョギング。

PM:5.5㎞(キロ3分46秒)

 

朝は走るコースの選択肢を変えたら予定の1時間長く走ることになった、、、

当然補給はなし。

PMは刺激を入れたかったこともあって、いつものコースを使用して快調走。

しんどかったけどいつもは失速をしてあきらめることも多かった3㎞以降も走り抜けることができた。

 

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タイトル回収をしていこうと思う。

最近ループしている内容は、

「一日に何回走ってもいいよね???????」

である。

多いときには3回ほど走っている。

川内さんの本を読んだときに一日1回を集中するとか、3回も練習あるなら3回のアップとダウンを行うことになる。

みたいなことを読んでから、確かに、、、と思って何回も走ることが、

なんとなく気分が乗らないことがあった。

あとは月間走行距離を意識している自分がいるのではないか?ということ。

走りすぎたら確かにけがをするが、

最近は、自分の足の具合を感じながら走っている印象がある。

理学療法士なのだから客観的評価をすればいいのだが、

負荷量の調節について、どこまでやれば壊れるのか、向上するのかということは、

モチベーションを維持・持続することも踏まえるとなかなか実践できていない現状。

バイタルサインでの変化は見れるが、天候や走る場所など環境設定をいつも同じにするなんて面白くないことはできない。

研究であればトレッドミル、同じシューズを使えばいいのだろう。

しかしそうではない、仕事ではないから頑張れる!楽しめるのだ!

 

話がそれたのでもどす。

休みの日は朝起きて走る。

昼も走る。

そして、習慣である夜風呂の前に走る(20~30分)。

と何回走ってもいいのだ!

なんで悩んでいるのかは上に書いた2つの理由であろう。

 

自分が走る理由は速くなるためでもあるが、一番は楽しいからである!

しんどいときもあるけれど、そういう時にも走りたくなる衝動があるのはなによりドーパミンが出てくるからだろう!

二日走らない日が続くと気持ち悪くなる。

歯磨きをさぼる、風呂に入るのをさぼる、などの気持ち悪さを感じるのと同様である。

(ランニング依存症だな)

 

だから、ランニングを練習ととらえるのではなく娯楽ととらえる感情の切り替えでこのもやもやは解消できるのではないかと思う?

 

 

 

長々書いてしまった雑談であった。

ふだんはこういうときにはノートに手書きで思いついたことを書いている。

今回は、ランニングのことがループしていたためここに残してみたw

結果、何を言いたいのかわからないのだが一度書けばすっきりすることが多いためこれはこれでいいだ。

多分この記事を読み返すことはないなw