凛として走る

自分は自分のモノ?

自分とは、、、?

 

仏教の本を読んでいたら不意に思ったので考えてみてください。

 

例えば、

 

左足を切断してしまったとします。

 

左足は自分といえますか?

左足以外の頭・体・腕・右足が自分になりませんか?

左足が自分と言えるなら、自分は2人になったのでしょうか?

 

これを色々考えていきます。

両手足がなくなったら?

目が見えなくなったら?

脳がなくなったら?

 

自分の思考と呼ばれるものを

出している部分がなくなったら

自分ではないきがします。

 

つまり脳ですね。

では、

脳だけ機械みたいなところにあって

体は他の場所で動いている状態。

 

このとき、脳だけですが、

自分ですかね。

 

===

 

ナルトにでてきたペインというキャラクターがいます。

本体は遠くにいて、

6人ぐらいの自分?を操って戦っています。

 

この時ペインの本体は、

操っているペインの気がします。

ペインは自分ですね。

 

===

 

とりあえず

考えている部分があったら自分。

認識している部分が自分だと思います。

 

もし、

この認識している側がすべて作り物だったら?

 

考えている部分(自分)につながっているのが

適当なプログラムだった場合、

自分が認識していると思っているのに、

思わされていることになりませんか?

(わからなくなってきたような・・・)

 

つまり、

周りの環境はすべて作られていて、

感じている自分はただ感じているだけのモノであると。

自分というものが存在しているのではなく、

させられている!?

 

===

 

言葉にするのは難しくなってきました。

時々、

マトリックスの世界や

攻殻機動隊の世界の話で

友人と盛り上がることがあります。

 

仏教の本を読むと、

世界は1つである、的な文章も出てきます。

無=すべて=無は存在しない

的なことだったかな?

 

自分が死んでも

無となって消えるのではなく

世界の一部であることは変わらない的な。

 

===

 

今日はなんか疲れているようですw

もし、

ここまで読まれた方がいましたら、

ありがとうございます。

 

ランニングについての話もしない

ランニングブログにお付き合い頂き

ありがとうございました。